<社労士受験講師時代の振り返り>

~今だから話せる,元受験講師のナイショ話~

 

私のこれまでの社労士人生を語るうえで、欠かすことのできないテーマが、社労士受験講師時代のお話です。

 

関係各位のご迷惑になってはいけないので、生々しいお話は控えさせていただきますが、あくまで自分自身における想い出の一ページとして、振り返ることが出来れば・・と考えております。

 

 

 

社労士受験講師というお仕事をする切っ掛けとなったのは、他でもありません、私自身が受験勉強でお世話になった某・社労士受験予備校です。

 

社労士受験時代は、自慢ではありませんが、学校で1~2を争う成績優秀の生徒でした。

直前模試では、いきなり校内トップの成績でした。

 

これには、それなりの背景があります。

 

社労士受験生の大半の人は仕事をしながら受験勉強をしているのですが、当時の私は無職で、いわゆる専業の受験生でしたから、成績優秀は当たり前ですよね。(笑)

 

 

国家試験も、一発で合格し、さあ開業へ・・・。

 

と思ったものの、実務経験が全くなく、かといって雇ってくれる社労士事務所もなく、どうしようか、迷っていました。

 

実は、受験勉強で学校に通って授業を受けているときから、「講師」という仕事に興味がありました。

 

教壇に立って、熱く語る講師の先生が、とてもカッコよく見えました。

 

 

試験に受かって間もなく、人づてに、「(通っていた)学校で講師を募集している」という情報を得ました。

 

チャンスとばかりに、さっそく学校に押しかけて、「講師になりたい」と願い出ていきました。

 

とりあえず、「試験をするから・・」と言われ、1週間後に、講師採用試験を受験しました。

 

採用試験は、ズバリ! 「模擬講義」!

 

講師室の責任者の前で、好きなテーマを選んで、15分間の講義をする。

 

そのときに選んだテーマが、「就業規則」。

 

 試験の結果は、・・・・・・・

 

なんと、不合格でした。

 

 

しかし、見込みはある・・・と評価していただき、

 

特別に、週1回・1カ月間の特訓のうえ、再試験をしていただくことになりました。

 

 

特訓には、私のほかに、社労士講師の候補生が2人の計3名、宅建講師の候補生が2人が参加していました。

 

 

再試験の結果は、社労士講師には、私ともう一人の2名が合格。宅建講師には1名が合格でした。

 

さっそく、その年の5月から、講義に立つことに・・・・。

 

5月という時期は、社労士試験においては、超直前期でした。

 

当時は、試験が7月の最終週の火曜日に行われていたから・・・。

 

しかし、新人の講師が、受験生にとって最も大事な時期に、突然、講師として教壇に現れるのは唐突すぎるので、

 

最初に担当したのは、次年度試験に向けた入門講義でした。

 

実は、これが自分にとって最も難しい講義になろうとは・・・。

 

 

 

新人講師が、私を含めて2名いたこともあり、学校で初の試みとして、「社労士長期コース」というクラスを設け、実に14か月間をかけてジックリ教えるコースを設けたのです。

 

当時、社労士の受験講座は6カ月~10カ月の受講期間が一般的でしたから、当時としては画期的な企画でした。

 

開講当初の5月から8月までの4カ月間は、法律学習の基礎を学ぶ講座でした。

 

大学で法学部だったとはいえ、真面目に勉強してこなかった自分にとっては、とっても荷が重い仕事でした。

 

何よりも苦い思い出は、生徒からの質問に満足に答えられず、恥ずかしい思いをしたことです。

 

社労士試験に受かっただけでは、とても講師なんて務まらない!

 

そう痛感して苦しい日々でした。

 

社労士試験に合格することと、他人に教えることができる能力とは、イコールではない。

 

自分の知識が、如何に薄っぺらいものであるかを、イヤというほど痛感する日々でした。

 

 

そのうち、教壇に立つことが、とても苦痛になってきました。

 

講師になって1年くらい経った時に、お世話になっていた講師室の室長の先生が、他の教育機関に転職されるとのことだったので、これを機に、自分も講師を辞めることにしました。

 

表向きは、開業の仕事に専念するため・・という理由で。

 

 

 

その後、縁あって、某医療機関で実務経験を積む機会をいただき、3年間、人事労務の実務を経験した後、開業を再開しました。

 

 

満を持して再開業に踏み切ったものの、思うように顧客が増えず、またしても苦悩の日々を過ごすことに・・・。

 

そんなある日、新聞の求人欄に、「社労士講師募集」の文字が飛び込んできました。

 

以前の苦い経験が思い出されて、少し躊躇しましたが、とりあえず社労士で稼げる仕事を・・・との思いで、ダメ元で応募してみました。

 

面接と模擬講義の試験を受けたところ、なんと、即決で採用されました。

 

1999年の5月ごろのことでした。

 

その年の9月から、教室講義にデビューすることになり、さあ大変!

 

なぜなら、私が社労士試験に受かったのが1993年で、前の学校で講師をしていたのが翌年から1995年まででしたから、社労士試験の世界から遠ざかって以来、実に4年ものブランクがあるからです。

 

その間の法改正には、到底ついていっていない自分がいるわけです。

 

さあ、どうやって知識のアップデートを図ろうか・・・・。

 

社労士受験の世界から数年のブランクがある私にとって、何よりも怖いのは、この間の法改正を追えていないことでした。

 

講師採用が決まってから、すぐに本屋に行き、最新の社労士受験テキストを購入して、知識の総点検を行いました。

 

しかし、情けないことに、この間の法改正はおろか、知識レベルそのものが低下しており、過去問も満足に解けず、とても教壇に立てるレベルではなく、当時の社労士試験にすら、とても合格することができないであろうほどの、情けない状態でした。

 

社労士試験に必要な知識と、社労士実務に必要な知識は、確かに相当範囲で共通しているのですが、必要とされる知識の質や範囲自体に、相当なズレが存在します。

 

したがって、実務ができるからと言って、試験に合格できる知識が備わっているとは言えないのです。

 

 

 

講師再デビューに向けて、大いなる不安を抱きつつも、9月の教壇デビューに向けて、勉強に取り組みました。

 

この当時、地元の社労士仲間で、他の社労士受験学校で数年間講師をしている方がいたので、その方に現場での話を聴かせていただきながら、心の準備も勉強と同時並行で行いました。

 

当時を思いだしてみると、このときに快くお付き合いしてくれた社労士仲間がいてくれたからこそ、不安にまみれながらも講師という仕事をどうにか続けていくことができたのだと、あらためて思います。感謝しかないです。

 

 

そして、準備のための数か月間は、あっという間に過ぎて、

 

いざ、講師再デビューの日を迎えました。

 

講義の成否は、準備(予習)で決まる!といっても、過言でないほど、講義の準備(予習)は、とても重要である。

 

以前に講師をしていた時は、自分自身の考えの甘さから、講義の予習が不十分な状態で教壇に立っていたと思います。

 

っていうか、講義の予習の仕方じたいを知らなかったのです。

 

いや、もっと言えば、本当によい講義とは何か?・・・を、知りませんでした。

 

だから、自分が教壇に立って、どんな講義をすればよいのか、皆目、イメージが湧きませんでした。

 

そんな状態だから、講義の話し方も、全くなっていなかったのだと、振り返ってみて思うのです。

 

しかし、再チャレンジである今回は、状況がまったく違いました。

 

何よりも有難かったのは、主任講師の講義ビデオの存在でした。

 

その講義ビデオを見ながら予習ができたので、知識面も情報面も、何よりも模範となる講義スタイルを見ることができることが、とても有難かったです。

 

日々、主任講師の講義ビデオを見ることで、自然と主任講師に話し方が似てしまうことが多く、講義の中で同じ冗談を言っている自分に苦笑してしまうことも、よくありました。(笑)

 

講師生活の初年度は、主任講師の講義ビデオを見ながら予習して、そのイメージのまま講義する・・という日々でした。

 

ただ、お恥ずかしながら、主任講師の講義が高度すぎて、11回の講義を自分自身で理解するのに、とても苦労していた記憶があります。(笑)

 

そんな有様ですから、初年度の自分の講義は、今思えば赤面するくらいの拙いものだったと思います。

 

講義の人気は、受講生の出席数に正直に現れます。

 

自分では、一生懸命に準備して、一生懸命に講義をしていましたが、

試験直前期になると、教室に来ている受講生が開講時の1割程度にまで減っていました。

 

もう、ほんと、講師としては、くびレベルですよ・・・。(苦笑)

 

 

 

それでも、初年度の我がクラスの受講生さんから、一人だけ合格者が出ました。

 

でも、合格祝賀会で、その生徒さんに言われた一言に、ガツンとやられました。(笑)

 

「 いや~、先生、私が合格しないと、このクラスで一人も合格者が出ないと思って、必死でしたよ。」

 

と・・・。

 

 

この一言でショックを受け、大いに奮起し、2年目の講義は、初年度とは比べ物にならないくらい、自分でも良い講義ができたのではないかと思っています。

 

この初年度のショックがなければ、講師の仕事自体、長続きせずに辞めていたかもしれません。

 

このときの悔しさが、講師2年目のエネルギーの源泉になっていました。

 

「なにくそ! このままで終われるか?!」 という気持ちです。

 

2年目は、1年目の反省を踏まえて、主に次のことに心掛けました。

 

1,受講生にとって「分かりやすい講義」を追求すること。

2,主任講師のモノマネではなく、自分スタイルでの講義を行うこと。

3,不必要に難解な論点は、結論を覚えやすく工夫して話すこと。

4,受講生との距離感を縮め、親しみやすい講師を目指すこと。

 

上記の4つは、今思えば、最初から目指すべき講師像だったのかもしれないですが、当時の自分は、自分自身の受験知識に対する自信のなさゆえ、1回1回の講義をこなすのに精いっぱいで、上記のことを考える余裕が全くなかったのです。

 

しかし、2年目からは、多少の余裕が生まれ、毎回の講義登壇が楽しみになるほど、充実感に満ちた講師ライフを送れたと思います。

 

これは、当時担当したクラスの受講生さんたちのお蔭でもあると思っています。

 

事実、この当時の受講生さんとの付き合いは、20年経った現在でも続いています。

 

講師2年目は、我が講師時代の黄金期だったと思っています。

 

 

そして、3年目、4年目・・と年数を重ねていきました。

 

結局、気がつけば14年もの間、社労士受験講師をしてきたわけです。

 

その間、担当したクラスは、「初学者向けコース」「受験経験者向けコース」「DVD通信」「音声CD通信」など、ひと通り経験させてもらいました。

 

現在では、事務所業務が繁忙になり、講師業を兼業することが難しくなったので、講師は引退し、事務所業務1本でやっていますが、

 

この講師という経験は、何事にも代えがたい、自分自身にとっての貴重な財産になっています。

 

この仕事をして、よかったと思うことは、いくつかあります。

 

一つは、「人前で話すことに、動じなくなった」ことです。

 

生来、私は引っ込み思案で、大人しい性格です。(本当ですよ・・)

 

少なくとも中学時代までは、クラスでも存在感を消しているくらいの超~消極的な性格で、親も心配するくらいの性格でした。

 

将来、学校で講師をするなんて、夢にも思いませんでした。

 

やはり、人間、チャレンジしてみるものですね。

最初の頃こそ、ド緊張で話してたのが、講義回数を重ねるごとに緊張の度合いも薄れ、今ではセミナー講師も自分から買って出るくらいになれました。

そう、人は、チャレンジすれば変わることができるのです。

 

 

また、受験講師という仕事を通じて、「知識のブラッシュアップを図れた」ことです。

 

受験指導をする・・・ということは、当然のことながら、試験科目の法律改正などにも対応しなければならないし、それを他人に教えられるレベルまで、知識を習得しておく必要がある。

必然的に、社労士分野の法律情報には、人一倍詳しくなる。

 

さらには、教室に来る生徒さんたちから、縦横無尽な質問が飛んでくるので、それらに即座に答えなければならない。

このことによって、かなり鍛えられ、講師を辞めた今でも、顧問先からの質問にも大抵は即答できるようになっている。

しかも、難解なことを、素人にもわかりやすく伝えることもできる。

 

これは、受験講師をやっていることの大きなメリットの一つだと思います。

 

社労士受験講師を長年(私の場合は14年間)やっていて、最大のメリット(よかったな~と思う点)は、何よりも多くの社労士仲間を輩出できたことだと思っています。

 

これは、「大きな誇り」と言っても良いかと・・・。

 

むろん、社労士試験は、講師の力だけでは合格できません。

 

受験する一人一人の懸命な努力によって、達成されるものです。

 

 

それでも、社労士という資格の取得、ひいては人生の選択肢を広げることに、少しでも貢献できたのであれば、これ以上の喜びはありません。

 

 

 

と、いうわけで、ふと思い立って、これまでの我が社労士人生の中で欠かすことのできないエピソードであり、輝かしい想い出でもある「社労士受験講師」時代を振り返ってみました。

 

この時代に私の講義を聴いてくれた受講生さん、講師仲間の先生方、そして学校関係者の方々に、深く感謝しております。

 

 

本当に、ありがとうございました。